日祐 (僧侶) (Nichiyu (a monk))

日祐(にちゆう、生年不詳 - 慶長11年11月6日 (旧暦)(1606年12月5日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての法華宗の僧侶。
字は慧沢。
号は通王院。

生国は不詳。
初めは比叡山延暦寺で学び、天正2年に(1574年)洛北松ケ崎に学堂を設置する。
後に教蔵院の日生に弟子入りして法華宗を学ぶ。
後に師に同行して下総国に赴き、飯塚壇林・飯高壇林で師とともに教説を伝授して一旦帰洛した。

天正18年(1590年)、上総国小西(現在の千葉県大網白里町)の日悟が正法寺内に小西壇林を設置した際に招かれて同壇林の開祖となる。
翌年、千葉氏に代わって同地の領主となった徳川家康より寺領30石の朱印状を受けた。
以後、17年にわたって教学を講じて各地より学徒が集った。
「関東三大壇林」の1つに数えられるに至った。

慶長7年(1602年)、京都立本寺の要望を受けて飯高壇林の日詔に小西壇林を譲って帰洛した。
立本寺第15世貫主に就任して衰微していた寺の再建に尽力した。

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